区別と差別

 あらかじめ。
 
 今日の記事は
 不快感を覚える方もいるかもしれません。
 なぜなら
 「障害・ハンデ」について
 私の経験・感覚をお話させて頂こうと思っているからです。


 つい最近
 ある事(それについては伏せさせて頂きますが・・・)があって
 私が学生の時の、1つの経験を思い出す事になりました。

 アパートから学校まで
 当然ですが、いつも同じ沿線で通います。
 その沿線上の先に
 ハンデを持つ子供達の学校があったようです。
 何人か、よく見かける子達がいました。
 
 誰しも
 ハンデのある方達と
 一切関わり無く生活している
 という事はないと思います。
 手足や、視覚・聴覚。
 年をとれば、車椅子に乗ることも考えられます。
 その様なハンデの場合
 受け止め、自然に接していける様になるのに
 それほど時間もかからないと思っています。

 ところが
 精神的に成長の難しいハンデというのはどうでしょうか。
 その様な場合は、1人1人の
 症状の現われ方も違って
 接し方に悩んでしまうのです。

 そんな私に起こった出来事です。

 電車でいつも見かけている男の子でした。
 ある日、わたしの隣に座りました。
 そして、しばらくすると
 背中の方に何かを感じました。
 最初は気のせいくらいに思っていたのですが
 序序にエスカレートしていったのです。
 あからさまに身体を寄せて来て触ります。
 当然、私は席を立ちました。
 その後も、少し私の後をつけて来る。
 私は、気分が悪くなりました。
 不快です。

 明らかな痴漢行為。

 通常なら
 駅員さんや車掌さんに連絡するところです。
 でも、私はその時そうしなかった。

 理由は1つです。
 ハンデのある子だったから。
 私は、間違っていたと思います。
 自分自身未熟で、判断能力もない学生。
 ただ、動揺するばかりです。
 
 保護者の方も、学校の先生もいらっしゃったことでしょう。
 私の気持ちを、きちんと理解して頂く必要があったと感じます。

 人を精神的にも肉体的にも傷つける事は
 ハンデがあるからといって許される事ではないと思っています。
 しかしながら、責任という事を考えれば
 その人1人の問題ではありません。
 責任能力がない状態に生まれついてしまった事は
 その人のせいではありません。
 
 でも、その時、私は私の責任を果たせなかった。
 「差別」をしたからです。

 自分の心が、なんのバリアーもなく
 全てを平等に自然に受け止められるようになる日は
 いつかやって来るでしょうか?
 


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この記事へのコメント
難しい問題の1つですね
精神的なものは外見で判断も難しいので、対処に困るのは当然です
優しい、ということは全てを許すことと違うと私は思うので
体を触られた、と言う行為に関しては報告は必要であると思います

本人に責任は負えなくても状態を分かっている人には責任があると
思うのです。
時々、自閉関係の障がいには、こだわりと言うものがあり、気になる絵とか
色とかデザインなど手に触れようとする傾向があります
たとえそれが女性の服だとしても・・・です
行為自体は間違いなく痴漢なのですが、本人にはその意識がない・・
困ったことですが、考えられる1つの原因です
障がい、特に精神的なものを抱える人を社会がどれだけ受け入れることが
出来るのか・・まだまだ課題は大きいですね
私自身も精神的な障がいの子と関わる難しさを感じることが多いです
Posted by チュウとチビのママ at 2007年05月06日 19:06
ほんとうに難しいんです。
今では、私も物を教える事を生業にしていますし
多くの子供達に接しているので
ADHD・LDなどの障害についても勉強しました。
自閉関係の子が、こだわりをもつ傾向にあることも理解しています。

なにぶん、その時の私は、あまりに未熟で
なんの判断も出来なかったということです。

上に挙げたLD等の障害(障害といってよいかわかりませんが)を受け入れ
対処していける学校の体制も整っていないのが現実です。
先生の中には、その存在すら無視している方もいるように感じます。

全ての人が、全く平等というのではないですが
様々な条件で生きているということは
もっと強く意識しないといけないんです・・・
Posted by まんまる寝子 at 2007年05月06日 19:43
自分は仕事上で精神的な病気による症状がある方とお話することがあります。差別しないように意識したり基本的な相談の仕方のルールはあるのですが、意識してしまうことがかえって不自然になってしまったりなかなか思い通りにはいきません。
まして咄嗟におきたことに冷静に対応するのは至難の業です。
でもまんまる寝子さんのように後になって自己分析ができるのはとてもすばらしいことだと思います。
個別のケースによって対応の仕方が違うので、より詳しくその人のことが分からないとなかなか対応がができないことがあります。
Posted by どん吉 at 2007年05月07日 13:32
茶々さんのブログ見ておいて、ボックスレンタルの提案あり。
Posted by しょうざん at 2007年05月07日 17:03
とても、心残りなんです。
通常学級に通えない子供達がいる。
それは事実で、そのための施設があります。
「子供と大人」「男女」等の区別と変わりはないと思うんです。
なのに、やっぱり私の心に差別があった事が
自分で受け入れられないくらいショックで・・・
区別が必ずしも差別の始まりだとは思いたくないんですが・・・
Posted by まんまる寝子 at 2007年05月07日 23:04
自分は施設の関係者であるので日々矛盾に感じてることが沢山あります。
施設内では「差別」と「区別」が混同されて問題となることがよくあります。
Aさんは糖尿病なので食事制限をされている。あるときBさんはご飯をもっと食べたいと職員に訴えた。しかし職員はBさんだけにご飯のおかわりを許してしまうとAさんや他の人たちもみんな希望が増えてしまう。Aさんだけ「差別」してはかわいそうだからみんな平等にご飯のおかわりは禁止にしましょうとなる。
本来ならAさんだけ「区別」すべきところを「差別」と混同してなのか職員が管理のしやすさを優先してなのかすぐに間違ったルールを決めてしまうことがある。
施設だから今までの生活と違って我慢しなくていけないことが多くてその人らしい生活が送れないのはとても残念である。

自分もまんまる寝子さんのように自分の中の「差別」と「区別」を深く考えて自分自身のこころにある気づいていない「差別」に対して敏感になっていきたいと思います。
Posted by どん吉 at 2007年05月08日 02:40
難しいですね。
自然に振舞おうとして不自然になり
よく考えて行動しようとして不自然になる・・・
マニュアルがあれば、それに振り回され
ますます不自然になる・・・

この記事をアップして
ママさんや、どん吉さんにコメント頂き
お返事を1つ1つ入れる度に
どんどん自分の頭が迷子になって行ってます(笑;
Posted by まんまる寝子 at 2007年05月08日 20:17
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